お別れ
2020年3月25日
2020年3月25日
こんにちわ。
ここ数日は天気が良く、近所の石川の土手沿いの桜に、よく見ると1輪〜2輪ほど咲いているのを見つけました。
春は別れの季節でもありますね。この’別れ’には卒業などの別れが当てはまるのだと思いますが、私にはとても悲しい別れがありました。
先週の木曜日の夜に、フレンチブルドックのらんが天国に逝ってしまいました。
このブログでも、アトピーの治療で登場した子です。
私の家族になったのが6ヶ月前の10月で、本当に短い期間でしたが彼女の存在は大きくなっていました。
ここ数日は彼女のいた所の掃除や、使ったタオルや暖房器具などを片付けながら、『らんは居ないんだ』と自分に言い聞かす作業をしています。
亡くなる2週間ほど前より寝たきりとなって介護生活が始まって、さよならする日が近くまで来ているのは分かっていましたので、私ができることと私がやってあげたいことに力を注ぎました。
皮膚病で処方食を食べていたので、自分でまだ食べることができていた時には処方食をあげていて、いよいよ食べなくなった時も処方食をお湯でふやかし、ペースト状にしてから口に入れていました(今思えば、まだ自力で食べている時から、らんが喜んで食べるものをあげていれば良かったと後悔しています)。
もう皮膚のことは考えず美味しいものをあげようと思った時には、元気な頃は喜んで食べていたものも受け付けてくれなくなっていました。
口に無理やり入れても、らんは舌で押しもどす、また口に無理やり入れる…の繰り返しでした。口を開けなくなってからは、流動食を強制給餌用の注射器で歯の隙間から流し入れていました。
これなら食べるかな?と色々なフードを試して見ましたが、1〜2回ペロっと舐めることはあっても、それ以上は食べてくれませんでした。
私はなんとか一緒にいる時間を延ばしたいと、食べさせることに一生懸命になっていましたが、口を開けようとしないらんの顔を見ていたら、強制給餌も私のエゴなのかなぁと考える毎日でした。
少しでも’しんどくない’状態を作ってあげたくて、点滴もしました。
亡くなる当日の夕方には意識レベルも落ちて「今晩がヤマだな」と感じたので、静脈点滴の切り替えて行っていた所、21時頃に点滴の機械が警告音を鳴らしていたので、点滴のラインが閉塞したのかと見に行くと、らんの呼吸が止まっていました。
抱き上げて「らん」と呼ぶと、最後に1回呼吸をしたのが最期でした。
1月の末より、何かおかしいなと感じるようになってから、明らかな病状が出てくるようになり、歩けなくなってきて寝たきりになるまでも1ヶ月ちょっとで、寝たきりになってからは2週間程度でしたので、本当に坂道を転げおりるかのように悪化していきました。
歩けなくなって散歩ができなくなると、らんを毛布で包んで赤ちゃんのように抱っこして外に出て日光浴をしていました。その時のらんがとても愛おしく、「まだお別れしたくななぁ〜、もっと一緒に居て欲しいなぁ」と話掛けていました。
たった半年間でしたが、私の家族になってくれたらんに心から感謝をします。